INTRODUCTION


世界三大映画祭を制した巨匠キム・ギドクが挑む社会派ヒューマン・ドラマ

カンヌ([アリラン』ある視点部門最優秀作品賞)、ヴェネチア([うつせみ』監督賞)、ベルリン(『サマリア』監督賞)と、世界三大映画祭を制覇。「嘆きのピエタ』で、第69回ヴェネチア国際映画祭金獅子賞(最高賞)に輝いた、韓国随一の鬼才キム・ギドク。本作は、これまでの20本を超えるギドク映画を総括するとともに、さらなる高みに飛躍を遂げたギドクが、世界に向けて放った、社会派ヒューマン・ドラマの傑作である。 北朝鮮の漁師ナム・チョルは、いつものようにモーターボートで漁に出るが、魚網がエンジンに絡まりボートが故障。意に反して韓国に流されてしまう。韓国の警察に拘束されたチョルは、身に覚えのないスパイ容疑で、情け容赦ない取り調べを受ける。加えて、ひたすら妻子の元に帰りたい一心の彼に、執拗に持ちかけられる韓国への亡命。しかも、ようやく北に戻された彼を待ち受けていたのは、より苛酷な運命だった。
祖国朝鮮半島の悲劇から現代社会の矛盾と闇に切り込む渾身作

南北の分断をテーマに、脚本・製作を担当した『プンサンケ』『レッド・ファミリー』を経て、ギドク自らメガホンを取った本作は、一人の漁師の悲運を通し、たとえ政治的体制が違っても、常に犠牲を強いられ切り捨てられていくのは弱者である現実を簡潔かつ力強いタッチで浮き彫りにしていく。また、取り調べ官による暴行シーンを、取り調べ室のブラインドを下ろして隠すなど、極端なバイオレンス描写を極力封印。
一方で、家族の元に帰ることだけを願い、資本主義に毒されまいと、ソウルの街中で頑なに目を瞑るチョルの内面をリアルに描出する。あるいは、彼の監視役に就くうちにチョルの潔白を信じ、彼を帰すべきだと上官に訴える若き警護官など、登場人物たちの心情に寄り添って、その心の壁をキメ細やかに映し出した。そして、斡国の経済的繁栄の裏に潜むダークサイドに朝鮮半島の分断が人々にもたらす苦悩と悲哀。そうした現代社会の矛盾と闇を直視するギドクの眼差しは、あくまでも鋭く揺るぎない。
ギドクが仕掛けたキャスティングの妙


主人公チョルを演じるのは、アクション俳優としても評価の高い個性派リュ・スンボムだ。ここでは、試練に耐えて強固な意思を貫くチョルを、真剣だからこそ、どこか人間的な可笑しみを誘う、独特の存在惑と強烈なインパクトで熱演している。そのチョルと心を通わす青年警護官オ・ジヌ役には、注目のイケメン次世代スター、イ・ウォングン。街で行方をくらましたチョルの帰りを待ち続け、彼のために上官に抗議するジヌは、ギドクが本作にこめた、“信じたい人の善意”の体現者とも言える。 チョルをスパイに仕立てるためには過剰な暴力行為も辞さない取り調べ官役は、ギドク映画4作目となるキム・ヨンミンだ。”北朝鮮”に憎悪と悪意をたぎらす彼の度を越した偏向と、狂犬じみた暴力性には恐怖さえ党える。彼とは対照的に、冷静沈着で合理的な室長に扮するのは、「殺されたミンジュ』に続いて、2度目のギドク映画出演となるチェ・グィファ。チョルに亡命を勧める彼の平然とした態度が、家に帰りたいというチョルの強い思いをいっそう印象づけている。さらに、チョルの妻を『メビウス」での一人二役が鮮烈だったイ・ウヌが好演。幼い娘を抱いて、夫に帰って来て欲しいと泣き崩れる彼女の姿には、思わず胸をつかれることだろう。