物語
あなたの家族の瞳には、あの頃のように明るい未来が見えていますか。
1945年、福島県石川町ではウラン採掘が行われ――
1966年、福島県双葉町では原発建設反対運動が潰され――
2011年、福島県南相馬市で暮らす家族に津波と原発事故が押し寄せた――
そして、すべてを失った少女は、明るさを取り戻した東京でひとりさまよう――
――この映画は、1945年、1966年、震災前の2011年、震災後の2011年が交差して描かれる。
1966年、16歳の愛子は孤立していた。原発建設反対派の最後の一人となった父は村八分にされ、酒浸りの日々を送っていた。愛子は父に代わり、新聞配達で生活を支えていた。かつて淡い恋心を通わせた健次は、原発推進の標語に応募し、当選。町の小さな商店街には、健次の標語「原子力 未来の 明るいエネルギー」と書かれたアーチが架かっている。愛子は今日もひとりそのアーチの下をくぐっていく。
2011年震災後、愛子の孫娘・怜は見知らぬ中年男に体を売っていた。怜は、被災体験を語って、男からさらにお金をとろうとする。それは、まるで自らを傷つける行為のようで、痛々しい。
2011年震災前、61歳になった愛子はYouTubeでチュニジアのジャスミン革命を見ていた。愛子は怜にFacebookのやり方を訊く。ジャスミン革命の群衆がFacebookで集まったと聞き、興味を惹かれたのだ。
1945年、愛子の父親・英雄は15歳だった。英雄は来る日も来る日も学徒動員で採掘場でツルハシを振るっていた。自分が何を探しているのかも知らされずに。そんな英雄に、東京から派遣された陸軍技術将校の加藤が、天然ウランを探していることを教えてくれる。なぜ加藤はそんな軍機を自分だけに教えてくれるのか。
1966年、愛子は新聞配達の職まで追われる。反対派の父を持つ愛子を雇ってくれるところはもうどこにもなかった。愛子は、賛成派に転じて以来、交流を絶っていた健次と海に向かう。愛子はずぶ濡れになった体を健次に投げ出す。愛子にはもう健次しかいなかった。
2011年震災前、愛子はFacebookで健次の名前を検索し、友達申請をした。東京電力で親子二代で働いていた健次は、息子を癌で失ったばかりだった。二人は会い、そして再び結ばれる。愛子は体でしか健次の心の穴を埋める術を知らなかった。
2011年震災後、怜は義援金募金詐欺をしている沢田という青年と知り合う。怜もまた募金箱を持って、街頭に立つ。そのお金で豪華な食事をするために。
1945年、英雄は母親と加藤の不倫を知ることになる。
2011年震災前、怜もまた愛子と健次の関係を知ることになる。
四世代一家族のそれぞれ個人は、それぞれの時代で、もがき、苦しみ、自分の生き方を見出そうとする。
そして、訪れるあの日。
3.11――
それは、人々の運命をどう変え、どういう結末に導くのか――
